一八八六―一八九六(明治初期一)

「藪の鶯」という小説が、明治になってからはじめて婦人の作家によって書かれた小説らしい小説であるということを、つい先達てになって知った。今の三宅花圃が田辺龍子嬢として明治二十一年に二十一歳のとき、書かれたものである。
 花圃の「思い出の人々」という昔がたりの中で、この作品が出来た前後の事情が話されている。「私が風邪かなにかを病んで、女学校を休んでいたときでございましたが、なくなりました兄の一周忌が近づいて来るのに、その法事をするお金がないと母がこぼしているのを聞きました、ふと思いつきましたのが、小説をかいて法事の費用をつくろうということでございました。」
 父の田辺太一という人は元老院議員という当時の顕官で、屋敷のなかに田圃まである家を下谷池の端に構えていた。青い着物を着た仲間《ちゅうげん》や馬丁というものが邸内の長屋に家族づれで住み込んでいるという大がかりな生活ぶりであったそうだが、その父という人の気質には旧幕臣としての鬱憤が激しくもえていて、「金の出て行くうしろ姿がよい」などと申し、お金を湯水のように使ってよろこんでいたので
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