しばられている女や男の「私」を、その枠から解放し、新しくより大きく生きさせる希望と美の力として文学を求めている。衷心のその願いなしに、どんな一人の作家が小説をかき、詩をかいて来ただろう。
婦人の個性と才能の発揮の願望は、明治以来、日本の文学伝統のなかで、困難な道を辿って来た。一葉のもがき、田村俊子の色彩の濃い自我の主張、らいてうの天才主義の幼稚さえも、女性の生活拡張の願いのあらわれであった。その意味では、婦人作家の女らしさへの追随も文学に於ける堕落さえも、日本の社会においての婦人のたたかいとその勝敗の姿であったと云える。
プロレタリア文学運動は、男対女の関係から、階級の対立する社会の現実に生きるそれぞれの階級の男女の問題として、婦人と文学との課題もとりあげ直した。今日、日本に云われる新しい民主主義は、ブルジョア民主主義の達成とともに、社会主義の民主主義にうつってゆく歴史の事情におかれている。この事実は民法改正草案一つをとって今日の社会の現実とてらし合わせても明瞭である。福沢諭吉が「女大学」批判を発表した明治三十三年頃、もし今日の民法改正草案が出されたのならば、それは日本の資本主義興
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