そのようにも自分たちの人生を挫き、存在の意味を失わせた暴力が何だかということを自覚さえしないで生きて来ているのだろうか。無事に作家として生存して来たと思ってでもいるのであろうか。
 平林たい子が、戦時中逆境にいて生死の経験をし、これらの作品に、今は話せるその物語をとりあげたことは一つの業績としなければならない。「一人行く」よりも、「こういう女」は小説に馴れ、自分の声を自分できくことに馴れ始めた作者の筆致がある。
「こういう女」という題は、私はこういう女です、というよりも、もっとひろく、こういう女もきのうときょうとの日本の歴史の中には生きている、という作者の心もちではなかろうか。そうだとすれば、作者がこういう女に予期しているのは婦人の一つのタイプであるということになる。そのタイプとして描き出すには、客観性が不足した。運動をしているとだけかかれている「夫」には、読者にはっきりしたイメージを与えるよすがとしての名も与えられていないし、運動の性質、逃亡の必然、自首の必然も描かれていない。仮にも左翼の運動をして、妻がそれを誇りとするほど矜持をもつ人であるというならば、自首ということの敗北的な屈辱
前へ 次へ
全369ページ中349ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング