智慧の輝いた社会への私たちの雄々しい憧れとその努力でなくて何であろう。ロマンティシズムがそういう人間らしい本質をもつものでないならば、何故人類に火をもたらしたプロメシウスの伝説が、ホーマーよりも古いギリシャの昔から今日まで幾千年もの間一つの美として人間の歴史に生かされて来たであろうか。
たとえば林芙美子は獲ているものの僅少な一個の文才ある女性であった。宇野千代も獲ているものは大してない境遇に成長した一人の女性であった。この人々が、今日、嘗て得なかったもの、そして、現在得ているもの、その物質と精神のゆとりによって、どのように芸術の高揚を示しているだろうか。この疑問は、意地わるい詮索と、より深い人間と、文学とに対する問いの性質をもっているのである。
現世代の文学の土壤は、明治大正から次第に拡大され、特にプロレタリア文学運動がおこって、民衆の文化と文学を主張してからは窪川稲子、平林たい子などの婦人作家を生みながら野沢富美子の生活環境へまでひろがっている。これは、決して偶然のことではない。同時に今日の文学は、野沢富美子の出現と同じように自然発生におかれている。社会と自身との関係、そこに獲
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