道行きを辿って再現するが、それがただの映し直し、現象の追随に止まっている原因は、「くれない」の批評に見られたと同じに、今日の文学世代の歴史と社会性とに対する把握の貧寒さから来ているのである。
ヴァージニア・ウルフの文学論では、婦人が自叙伝(としての小説)を書く時代は漸く過ぎたと云われている。けれども、果して今日の世界の歴史と、そのなかに生きるすべての婦人の現実はそういうものだろうか。イギリス文学のなかで常套となってきた自叙伝としての小説は、それは過去のものであるだろう。何故ならば明日の自叙伝は、きのうの自叙伝と全くちがったものである筈だから。一個の「私」はその奥行きと幅とをひろげて、その「私」の生きた時代とその歴史の特徴とを語るものになりつつある。パール・バックの「この誇らかな心」は、現代のアメリカの社会生活のなかにでも、やはりとりあげられるこういうモティーヴのあることを示している。日本の現代文学について云えば、婦人作家は過去の「私小説」の水準でさえ殆どまだ完き自叙伝的小説として書いていない。近代日本の文学の中で、ヨーロッパ文学の到達した点で、自分を知って、その上で書いたという婦人作
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