性の生きかたも、人間の像、文学のリアリティーとして評価されるが、日本の文学、そしてそれが婦人によってかかれた小説では、明子の存在でさえも、日本の習慣の非近代性はもちこたえかねるのだろうか。
 文学以前の問題として、日本のこれまでの社会には、愛の営みとしての夫妻生活の建設が殆どなかった。結婚生活というよりも、あるのはおおかた世帯であった。せまく、小さく、その経済的基礎も弱くて、発展も変化もない世帯は、芸術の醗酵所とはなりかねた。現代日本文学は、「世帯」からの脱出に、徒労なもがきをつづけて来たとさえ思う。世帯という言葉のふくむあらゆる苦々しいしめっぽいものからの完全な脱出は、世帯そのものの本質が社会的に変えられなければ不可能である。美しくのびやかで、創造的な男女の生活関係を心から願うならば、この社会で一人の男一人の女が、これまで在ったよりも、もっともっと人間の自主性に立つことが出来る社会関係全体としての可能がうまれなければならないのと同じに。
「くれない」のテーマが、まだ将来に多くの課題を暗示して、未解決のまま終っていることは、今日、わたし達が生きている日本の社会の歴史的象徴であるとも思え
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