はらだたしい現実である。二階の掃除にすらりと立てない明子の心持は、作品の前後のつながりでは自然なものとして肯けるように描かれている。珍しく子供たちのいない夫婦さし向いの朝の家を新鮮に感じて、若やいでいそいそと興を覚えている明子のそのときの心の初々しいはずみにかかわりなく、妻としては別な女を今や頻りと胸中に描いている広介は、明子が二人きりの朝をよろこんでいる気分に共感しようもなくひどく事務的に、女房に亭主が求めて来たしきたりそのもので、二階がひどいごみだという。その気分のくいちがいで明子はすらりと立てなかったのである。
 日本の感情は、どうして文学者である男でさえ、男の云いつけることを、女がおとなしくきく、きかないに対して、こんなにも異様に敏感なのだろう。愛人たちの感情経緯のなかでは、愛の純朴を愚弄するくらいあれやこれやのコケトリーを容認しながら、良人と妻との日ぐらしの姿では、清純な女の愛のこころから行われる行為の選択さえ女の自然な味とうけとられず、女の反抗という感じでうけとられたり、かたくなさとして否定の面にだけみたりするのは、どうしてだろう。翻訳小説の中でなら、どんなに質量のつよい女
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