かほどもない時分の一つの情景であろう。「女中ともつかず、内弟子ともつかず、働く人として弟子入りをした」と同門の令嬢たちが夏子の身分をことこまかに区別して観察しているところを考えれば、弟子というのは、十分な月謝や食費や衣類調度をもって師匠の許におき臥しする令嬢を云い、夏子の父は娘のためにそれだけのことはしてやれなかったのだと思われる。特に当時盛名を馳せ、華やかに語られていた中島歌子の貴族的な塾へ娘を入れるように骨折ったりしたことには、父として娘の才能にかける仄かな期待とともに、母の胸中には、昔、自分が甲斐の田舎から江戸の稲葉家に上ったときの心持のつながりもあったかもしれない。
 一葉の父が亡くなったのは明治二十二年七月、一葉は十八の夏であった。その前年、官吏をやめた則義は友人たちと馬車会社を起したというのも当時らしく、またその会社が思うように行かないで、則義はそのごたつきの最中、亡くなったのもその人らしい時代の俤である。夏子の上には、兄が二人もいたのだが、彼女がやっと萩の舎に入門した翌年に長兄が病歿し、次兄はよそへ養子にやられていたので樋口家の相続の責任は自然夏子の肩にかかって来た。
 
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