はきこえず、世相の浮き沈みとして反映したであろう。次女夏子を小学校にあげてみたり又すぐさげてしまったりする樋口家の家庭の空気には、二つ下の幼い女の児邦子をかかえた母の、安定のない気分が少なからず作用していたらしくも推察される。
 樋口の家庭の明け暮れは、鹿鳴館の賑いなど思いもそめない風俗であった。瀧子は、昔ながらに、女の子に永く学問なんかさせると、ゆくゆく為によくないという方針で、夏子を躾けようとしていたのであった。
 父則義は、侍になりたいと思った気持にしても、その底には好学の傾きも持っていた人らしくて、その点では必ずしも妻と同じように娘をみてはいなかった。どこか凡庸でない少女の眼差しや、心のうごきが察せられたとみえ、折にふれて和歌の集や物語本など買って与えたり、あれこれ歴史物語をきかしてやったりした。そして、到頭妻を納得させて、遠田澄庵という人の紹介で、当時閨秀歌人として、水戸の志士林の妻として女傑と称されていた中島歌子の萩の舎へ十五歳の夏子を入門させたのであった。
 これが夏子の生涯の転機であった。花圃の思い出にのこっている赤壁の賦の場面は、一葉がそのようにして萩の舎に入門してい
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