僅か半年で、その後は家で専心裁縫の稽古や家の手伝をしなければならなかった。
両親とも甲斐のひとで、母の瀧子というひとは稲葉家に仕えたことのある婦人であった。父の樋口則義は甲斐の大藤村の農家に生れたのだが、侍になりたい志を立てて江戸にのぼり、則義は菊池という旗本の家に入り、後は、八丁堀の与力浅井の株を買って幕臣になったという閲歴である。今井邦子の「樋口一葉」に、「則義氏は旗本菊池家に、母君は同じく稲葉家に仕えたが」とかかれているところをみれば、甲州のひとたちらしく辛棒のつよいこの夫妻は、夫婦ともどもに江戸に出て、江戸へ出た上は別れ別れに旗本だの士族だのの家に入って、侍になりたいという素志を貫徹したのであったらしい。
そういう経歴の瀧子が、夏子の母であったということは、一葉の一生を通じての娘としての苦衷と思いあわせ、私たちの記憶に刻まれる一事である。
明治初年に東京府のささやかな一官吏となった主人。やっと侍の妻になったかと思うと、もうその努力の結果は、歴史の怒濤に泡となって消え去ってゆくのを見送らなければならないような、かちきな母瀧子の生活感情には、開化の声が、快く希望を唆る響として
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