が穂にあらわれたとりなしが若い貴婦人たちの感情へはいきなり「なんだ、生意気な女」と、つよく映ったというのも面白い。当時まだ「家来《けらい》」というものを日常身辺にもって暮していた上流の若い婦人たちが自分たちが坐っている前へおすしを運んで来るような身分の軽い少女に対して、風流の間にもはっきりと身分の差別を感じていたというのは、こわいように思える。
一葉の二十五年の短い生涯を、貧窮が貫いたのは周知のとおりだけれども、この時分はまだ一葉の両親は在世であった。明治五年に、東京府庁の山下町の官舎で、樋口家の次女として生れた夏子は、六つで本郷小学校へ入学した。しかしそこはどういうわけかすぐ退学して、手習師匠のところへ通わされ、十四年に家が下谷に移ったのち、その冬から池の端の青海小学校に通学した。そこに通ったのも二年ばかりで、またやめて、翌十七年に、和田重雄という父の知人である歌人の門に入った。十三の少女は、
[#ここから3字下げ]
いづくにかしるしの糸はつけつらむ
年々来鳴くつばくらめかな
[#ここで字下げ終わり]
という、生気のある愛くるしい歌をつくったりしている。そこに通ったのも
前へ
次へ
全369ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング