父の歿後、一家はしばらく養子に行った次兄の許に身をよせたが、円滑にゆかなくて、一葉は自分だけ中島のところで暮した。その翌る年十九の夏子が母瀧子と十七の妹邦子とをひきとって、本郷菊坂につつましい一戸をかまえ、母娘三人の生活がはじめられたのである。
元来家産があったのでもない則義が亡くなった今、十九の夏子がいかに大人びていたにしろ、どんな方法で生計を立ててゆこうと計画したのだろう。一二年の間はどうやら女三人の生活は営まれたが、三年経った二十四年の秋には、初めて親戚の家へ三十円借金をしたことが日記に出ている。貧は次第にはっきり牙をあらわしはじめた。
花圃の「思い出の人々」のなかに、
「ある日歌の会が終って帰ろうとしておりますと、一葉さんが下駄をはいて玄関のそとまで送って来られて『私は大望をおこして、小説をかいて見たいと思うがどうか』という御相談をうけました。私は『書きたければ勝手にお書きになればいいんじゃありませんか』とにべもない返事をいたしましたが」云々と、当時自分自身の身辺がとりこんでいておちおち相談にものれなかった有様が飾りなく語られている。
花圃が「藪の鶯」をかいたのは明治二十
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