に傍点]のように描き出す修練に、文学をすりかえなければならないのだろうか。小山いと子が困難な前途において、彼女の生活力をどう発揮し自身の精力的な文学上の野望と殆ど歴史的な矛盾を、どう処理してゆくかということは、決して一人の小山いと子の問題に止らないのである。
 この時代の日本の文学が、数年の間「人間復興」の声をあげつづけながら、社会と文学認識の封建制、軍事性に負けつづけ、ヒューマニズムの文学、能動精神の文学、より社会性のある長篇小説と求めつつ、一歩一歩と、文学の中から人間らしさと文学らしさとを喪って行った姿は、殆ど涙せしめるものがある。社会性を否定して、どんな生きた人間の心が描けよう。どんな人間も社会と階級以外のところに生きてはいないものを。長篇小説と云えば、バルザックをとりあげてみないまでも活社会の活人間を描く力量が必要である。人間をつかまえ切れない当時の長篇小説への欲求は、忽ち題材主義に赴いて、人間の生ける心情の追放となって行った。そして、この社会の現実として現れる人間関係を文学の中に生かす努力を放棄した敗北的な作家の専横とでもいうべきものは、一面では生産文学を生み出すとともに、他
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