な情熱の具体化の道は、半封建の日本で小山いと子の前に開かれてはいないのである。「熱風」のような題材には、表面にあらわれた事件として作品に語られているいろいろのいきさつのもっと奥深いところに、決定的な事情として横わっている国際間の政治的な支配力と支配力との間の微妙な動きについての洞察が、文芸以前に現実をつかむ予備知識として作者に求められる。
 歴史の現実に立つ社会関係、国際関係、その間に悩む人間関係等についての理解のせまさから、めくら蛇におじず風に謙遜でなくなって、現実への畏れを失い、作者の我が思うところにしたがって勝手に生活的真実を料理してゆくことになっては、作者が望むと望まないにかかわらず、「生産文学」が今日の社会と文学の現実に対して犯したと同じ誤りに陥ることをさけ得ないのである。
 小山いと子という作家が、いつも勉強した題材によって作品を描こうとして小さい自分の身辺にからまるまいとする欲望を示していることは、十分注目され、鼓舞されなければならないと思う。それにもかかわらず、この作家は、自分の野望のたくましさと、それに矛盾する日本の社会的条件のわるさについて、あまり関心がなさすぎる。
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