。「支那ランプの石油」の著者アリス・ホバードが、アメリカの一女性として、スタンダード石油会社の勤人の細君として、中国で経験しただけの経歴さえも、日本の女性は持っていない。良人とともに外国住いした日本の妻たちは「あちらの婦人なみ」に話し、身じまいをして、彼女等のマンネリズムに順応するだけが精一杯でやって来ている。西欧の近代ブルジョア文化は、模倣に熱心な日本の女性にさえそんな苦労をさせるほど、物質的に、精神的に日本に先行しているのである。中国、朝鮮などに、日本の侵略と無関係なただの一人の日本婦人も行ったことはなかったと云えるような悲運におかれているのである。それかと云って、調べた文学として、題材を研究し調査しただけで、作品のリアリティを生むほど、日本の婦人作家は諸工業、技術、技術者の心理というものに通暁しているだろうか。その答えは、今日の日本の文化全体の水準から見ておのずから明白であろうと思う。ソヴェト同盟の老婦人作家シャギニャーンが、三年の間、日夜その事業の進行と共に建設する人々の中で生活して「中央水力発電所」という小説を書いた。婦人作家として、社会的条件の上で可能とされている、そのよう
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