来た。が、その人々は、小林の家をとりまいていた杉並警察署のものにつかまえられて、留置場へ入れられた。葬儀さえ、友人たちの手によってはさせられなかった。そのとき、友人代表として世話をした古い仲間江口渙は、あとで検挙されたとき、小林の葬儀委員長をしたことについて、咎められるという有様であった。窪川稲子が、当時新聞に書いた「二月二十日のあと」という短い文章は、仲間たちの憤りと悲しみと、小林の老いた母の歎きの姿を描き出して、感動ふかいものである。
プロレタリア文学の運動は、こうして破壊され、数年来、この文学運動に反対して闘って来た一部の作家たちは、ひそかな勝利の感情を味ったかもしれない。しかし、日本の文学全体を展望したとき、プロレタリア文学がそういう過程で壊滅させられた事実は、文学にとってきわめて不吉な前兆となった。倒されたのは、プロレタリア文学ばかりではなかったのであったから。日本のおくれた近代性のなかで、ともかく世界的水準を目ざしつつ、日本文学そのものの客観的進展に努めて来ていたのは、プロレタリア文学運動であった。日本の人民の自主性と文化の自主性を願って絶対主義支配に抵抗し、文学運動をた
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