に対すると大差はないので、勿論君に感じるものとは性質が異っているから、僕自身としては気持に矛盾はない。努めて君をさけようとしたのは」と関の持ち出すのは、「個人は常に無であることを必要とする生活に、最も個人的な恋愛を入れるのは、どんな形においても無理だ」という考えからである。それが活動の妨げになる実例を関は見て来ている。大庭とのことは、「彼女が大阪へ行ったことは結末がついたようなもんだから」というのが関の云い分なのである。
一人の女性が否定的な環境から脱皮しようとするとき、その飛躍に手を貸す友情的な助力が結婚と同義語的に見られ得ることなのだろうか。又、男同士の友情の延長だと、その妹に子をもたせるような関係に入ることが自然な人間性だとでもいうのであろうか。まして、米子が大阪へ行ったから、もうけりはついたと思ったという関の情理の粗末さは、あり来った男の無責任とどうちがうだろう。関のこれらの判断は混迷して非条理であるし又人間らしくもなければ、自覚ある男らしくもない。恋愛というものの内容に何の新しい本質も見出さないままで、ただ「私的」問題とされていることなどについて、作者は分析も疑問も与えてい
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