道主義に立って出発した中條百合子(宮本)は、ごく自然発生に生活と文学との統一的な成長を欲求しているばかりで、直接プロレタリア文学の潮流については何も知らなかった。五六年間の封鎖されたような結婚生活の中で苦しみ、やがて離婚して長篇「伸子」を書いていた。
「伸子」の作者よりも、より知識的な生活環境をもっていた年上の野上彌生子が、無産階級文学の運動にある注目をはらい、「邯鄲」などを書いたのに比べると、「伸子」の作者は全く何も知らず、従って無産階級芸術運動に対する批判も反撥ももたなかった。「伸子」の作者は、階級というものを観念として知らなかったばかりでなく、自身のうちに自覚していなかった。そしてただ、その熱望のさし示すままに、一人の若い女性が、中流の常套と社会通念の型を不如意に感じ、そこから身をほどいて一個の人間であろうとする「伸子」をかきはじめたのであった。
 網野菊の「光子」が、過去七八年間の作品を集めて出版されたのもこの時期であった。幼いとき生母に悲しい事情で生別した光子という少女が、下町の町家暮しの環境のなかで、高等教育もうけながら、日本の伝統の深い複雑な家庭のいきさつに揉まれながら、
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