を語る芸術の方法となって行った。
 宇野千代は、これまでの婦人作家たちとは全くちがった生活の環境を通った人、又通っている人として当時の文学の分野に出現した。田村俊子がアメリカへ去ってしまってから、文壇と文学愛好者たちとは、田村俊子がその肉体と文学とから発散させてあたりに撒いていたような色彩と体温とを失ったままでいた。宇野千代がその作品中で「もっと困っていたのだったら屹度淫売をしただろうと思えるような困りかたであった」と云う女としての生活の苦の語りよう。だが「貧乏が苦にならない」「その上に彼女は性来の怠け者であった。そして怠け者に賦与された或る本能を持っていて」それに導かれつつ時々の世わたりをしてゆく我から捨てたような風情。しかもその一面には、ほかに着る物一枚なくて男のどてら姿で往来を歩いていても「私は仕方がなくてこんな恰好をしているのじゃないのよ、唯ほんの物好きでやっているのよというようなしぐさをするのであった」という自分の姿の眺めかた。それらは、野上彌生子にも小寺菊子にもない線と色調と人生に向っての身ごなしであった。
 田村俊子は、その作品を感覚と情痴とで多彩にもりあげたが、そこには
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