謡曲から取材した「藤戸」「邯鄲」「綾鼓」というような作品を書かれていることは興味ふかい。邯鄲夢の枕の物語が語っているとおり、当時の未熟な荒っぽいインテリゲンツィア否定論などに対して、この作者は、そういう熱っぽいいきりたちもやがてさめる夢であろう、という暗喩を示したものと思われる。野上彌生子は新しい文学理論との論争に加わらず、終始あくまで文学に固執し、そのリアリスティックな描写でこの作家の代表とされている「海神丸」を執筆したのは、大正十一年であった。漁夫の漂流の恐ろしい経験をとらえて、死とたたかう人間が、仲間に対しても人間らしさを守りぬこうとする奮闘のいきさつを写実的に描いた。この時代の野上彌生子は写実的な手法を益々磨いてゆくとともに、主観のうちに知識的な或は哲学的な均衡を保って、両性の課題をもふくむ社会事象を一段高い作者の見識とでもいうところから、自分としては性別からも超脱したような立場と態度とで扱ってゆく傾向を示していた。
 大橋ふさの感想集が一抹のモダーニズムの味をもって出版されたのもこの時代であった。
 注目すべきは、この新しい時代の底潮が、従来の婦人作家と異った社会生活の環境か
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