ろがり、登場人物には外国少女も自然にとりいれられていて、しかも、それらの外国婦人の心情がそっくり日本の武士の娘の心情にとりかえられて表現されていることなどである。この「婦女の鑑」にも技術家尊重の気風は強調されていて、種々の波瀾ののち絹糸輸出のために秀子が小工場をおこし、貧家の女子供らをそこに働かしていくらかの給料のほかに朝夜二食を与え、子供のために工場の幼稚園をつくり、三つから十までの子供の世話をするようにすることで大団円となっているのである。こんな結末にしろいかにも明治二十二年ごろらしい。憲法発布のお祝いが東京市中をひっくりかえしているときに、森有礼が刺され、文学では山田美妙の「胡蝶」の插画に初めて裸体が描かれ、それに対する囂々たる反響が、同じ読売新聞にのっている。
 その時分の文芸批評の方法や形式というものには客観的な基準などなくて、美妙の插画への嘲笑も「東京にはZORAが出まして都の花をさかせます。いかにも裸は美妙です。なるほど『美』はARTにはないものと見えます」と、徳川時代の町人文学の一つであった川柳、落首の様式を踏んでいる。ZORAでなくてZOLAですよ、という投書ものって
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