なかで放れ小馬が貧しい一人の少女を負傷させ、その春子という少女を別荘につれて行って介抱してやるというのが一篇の発端をなしている。
 この小説が読売新聞に発表されるについては饗庭篁村がながい推薦の辞をつけている。「美学のうち絵画と小説は特に婦人に適す宜しく此地を婦人の領とすべし」という篁村の考えかたは政治は男のものとする常識で、文学・小説というものの社会的な本質を過小評価している気風を反映させていて面白い。「清紫の亜流世の風潮によどみて無形の美をあらはすこと少なく」それを憾みとしていたらば、「岡本えい子女史は、高等女学校を卒業して夙に淑徳才藻のほまれたかく学の窓の筆ずさみに一篇の小説を綴られしときゝ」懇請して発表するとかいている。
 花圃が「藪の鶯」を出した翌る年のことだから、その刺戟で書かれたものであったろう。今日興味をうごかされるのは、この小説がその七五調を徹底させて「いざや何々候はん」と会話までその文体でおしとおしているばかりでなく、筋のくみたてが全く馬琴流の荒唐に立っていて、モラルもそのとおりの正義、人情であやつられながら、他の半面では当時の開化小説の流れをくんで場面は海外までひ
前へ 次へ
全369ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング