には、宮嶋資夫など自然発生の無産階級出身作家が、プロレタリア文学をつくるのは、プロレタリアでなければならない、とする機械的な主張があった。又プロレタリア文学であるにしろ、文学が文学として存在し、又持つべき文学としての機能があることを抹殺して、一面的に、階級のための思想的武器の目的ばかりが強調されたし、同時に、所謂実際運動と芸術運動との間に、階級的熱意の差別をおいて、本当に労働階級の役に立とうとするならば、実際運動に入るべきだ、という見解も支配的にあったのである。
無産階級の文学、プロレタリア文学の理論はそのように比較的迅い速力で一つの段階から次の段階へと推移していたが、当時書かれていた作品は、どういうものであったろうか。前田河広一郎の「三等船客」、宮嶋資夫の「金」、中西伊之助の「赭土に芽ぐむもの」などは、題材において、これまでの作家が扱わなかった領域に進出した。「赭土に芽ぐむもの」は、殖民地としての朝鮮とその民衆が自由をもとめるたたかいを描いたし、「金」は、無産者の側から資本主義社会の金融・株式市場を、「三等船客」は、色彩のつよい手法で太平洋航路の三等船客の姿を、上甲板の船客たちの華
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