。それ以来、次第に下降させられて来ていた一般の婦人の生活慾は、『青鞜』に到って、女の側から男の世界への要求として甦り、それが大戦後のこの時代になって、更に再びそれを自身の社会問題としてとりあげる婦人生活向上の欲求として、世界的な新しい光の下に現われたのであった。
けれどもその『女性改造』や『婦人公論』が僅か数年の命脈を保っただけで廃刊されなければならなかったというのは、折角純粋な目的をもって創刊されたこれらの婦人雑誌は、『改造』『中央公論』社なぞの営利的利害から見れば、儲けがすくなくて損になったからである。『婦人世界』や『主婦之友』の所謂婦人雑誌の低俗さが日本の社会における婦人の位置の低さに巧につけ入りつづけたのであった。進歩的な婦人雑誌廃刊の事実と所謂モダン・ガールという流行語の発生とが、略々《ほぼ》時を同じくしているという社会的な事実は、何を語っているであろうか。
『青鞜』が廃刊になってから五年目の大正九年、平塚雷鳥が「新婦人協会」を創立して、翌年の議会には参政権や花柳病男子排斥案を請願したことは、興味がある。自我離脱の天才論を唱えていたらいてうも、今や妻・母としての現実から、日
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