くそれと反対の天性で「ノラ」の稽古について語っているところでも「東儀先生の落付き払った金貸振りに、私はほんとにくやしくなって思わずのり出して読む」自分を示している。
 そういうむき出しの熱い気質であったから須磨子は抱月とのいきさつにおいては傍目の批評を蹴ちらしたような素朴な力で一杯に生きたのであったろう。
 私たちにとって、須磨子がそうやっていくつか短い小説も書いているということは、何か特別な感想を誘われることである。
 当時、新しい女優というものへの理想と希望、期待がどんなに初々しく混りけないものであったかということは、文芸協会の女優募集条件の第一に先ず性格と云われている点からも明かである。第一に性格を持っている女性、第二に芸術精進に可能な境遇の女性、第三頭脳、そして第四の最後に容姿が求められている。
 日本の近代劇の誕生は、新しい社会の生活感情の探求そのものの反映であったことがこの箇条にも語られている。女優になるということは、当時一つの女性解放の門であるとも感じられたので、田村俊子も切れ切れの時期ではあったが女優生活を経験した。
 森律子が大正二年に渡欧した折の意気組はまだ新鮮で、
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