にこの情熱的な女優に死を選ばせるに到った動機は何であったろう。我儘一杯にふるまって来た彼女が、身をもてあました結果とだけ見るのは皮相である。島村抱月は新しい演劇運動の指導者であったばかりでなく、婦人問題についても、系統立った真面目な見解をもっている人であった。須磨子は舞台に情熱を傾けつつ、「『人形の家』を人間の家とするの」は、抱月在って初めて可能なことと思えたであろう。その抱月は急死し、芸術座の経営の困難と、自身の女及び芸術家としての成長の苦難は余り巨大に目前に迫った。その半身は芸術的にも成人しており、又成人として現実生活に当ってゆかなければならない必然にさらされつつ、猶その存在の奥に過去の社会の重い暗い感情を内部のものとしても持っている日本の一箇の女である須磨子の自殺は、積極的な精神と肉体とがその深刻な矛盾に向ってうちよせて来る力に抗せず、倒れた悲痛な姿と見えるのである。
須磨子がいくつかの短い小説を書いていることを人は記憶しているだろうか。
大正二年という年は、『青鞜』創刊から三年目、丁度坪内逍遙の文芸協会から島村抱月と松井須磨子とが脱退して芸術座を組織した時であり、婦人問題に
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