生涯は、生活と芸術との現実的な推進の関係ではかられるべきものという理解に立った。生活そのものに向う動的な態度では、ホトトギス派を文学の苗床として成長した野上彌生子の現実鑑賞の態度とはおのずから質において異っていた。トルストイ、ロマン・ローランなどの芸術家としての生きかたに強く共感していたけれども、中流家庭の環境のなかで、自然に発生したそういう成長の意欲は、若い女の場合孤立的であったし、方向も定めがたいものであった。偶然のことから父につれられてアメリカへ行き、丁度欧州大戦休戦の前後、紐育にいた。そこでの感銘深い見聞は、漠然とした人道主義に対して一つの疑問を抱かせた。引きつづいて、より現実的な生活拡大の希望で結婚した。その結婚生活では、対手の生活目標とのくいちがいがあって数年に亙った苦しい生活の後、離婚した。そういういきさつの裡に、女として自身の抱いている人間的希望の社会的な関係、土台というようなものも徐々に作家として自覚されつつあったのであった。
 大正八年に当時名女優として高く評価されていた松井須磨子が自殺した。
 芸術上の指導者であり愛人であった島村抱月が死んでから後一年の生活が、遂
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