力となったと云いきっている彼女は、女として又芸術家として、果して自身の力を飽くまで自分の支配の下に掌握しつくし得たのであったろうか。そのように完全な精神の自立が確保されたのであったろうか。この問いは、田村俊子という一人の婦人作家をチャンピオンとした明治四十年代という時代に向って、一層切実にかけられる質問でもある。
「炮烙の刑」で、作者は龍子に「あの青年を愛すのも、慶次を愛すのも、それは私の意志ではないか。私は決して悪いことをしてはいない。」謝罪するよりは炮烙の刑を良人から受けようという、愛においても自分を立てる女を描いている。だが、私の意志[#「私の意志」に傍点]というその実現の中に、つつみきれない複雑なものが現実の心にあふれていて、経済の上に芸術の上に一人立ちして、男をも自分から選び愛して行っていると思う実際は、案外に「自分の紅総のように乱れる時々の感情をその上にも綾してくれるなつかしい男の心」に「長く凭れていた自分の肌の温みを持った柱」へのようにもたれて、生きてゆく力の半ばをかけていたのではなかったろうか。女は男を愛さずにはいられない。その自然さに、その自然さの時代的な主張にわれか
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