いて四十五年に発表した短篇「魔」から、俊子の名は当時の文学潮流の上に意味を有するものとなった。
小説がかきはじめられたのは、ずっと前からのことであった。
露伴の弟子となって露英という号で処女作「露分衣」という作品を『文芸倶楽部』に発表したのが三十六年と年譜に記されているのをみれば、それは俊子が十九歳ごろのことであった。小説ずきは子供時代かららしいが、露伴の弟子になったきっかけは、露伴の作品を読んだことからではなくて、「ひげ男」上演のとき、一方紅葉が「金色夜叉」の上演につききりでやかましく云っているのと反対に、露伴は一切無干渉だという新聞記事をよんで、「人格を敬慕するの余り、単独にてその門を叩きたるなり」と語られているところに、何かこの婦人作家の気質がうかがえる。
俊子は、露伴の人柄の抱擁力の大きさというようなものを心に描いて、その指導の中に自由な自身の文学的成長を期待したのであったろう。けれども、当時の露伴を文学の世界において客観すれば、既に保守に傾いていた作家である。俊子の天分を評価することから、却って彼女に月刊雑誌をよませず、古典文学だけを熟読させる、という結果にもなったらし
前へ
次へ
全369ページ中145ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング