になるのだ。そういう僕が既に僕の妻をどの位悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押しが強すぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損われた女からは要求出来るものじゃないよ」という結論を、その終局として得ているのである。
この力作の中で漱石は、執拗に兄の心理を追求しているが、兄の妻である千代子の心理は受動的に静的に置いている。又、女が妻となれば天真を害われずにはいないという悲痛な現実の条件を醸している夫婦というものの通念や家庭というもののありようを、作者として社会的に解剖する試をも企てていない。「行人」の中でもし一度作者漱石が、妻の心のうちに潜り入って、その沈黙の封印を破り終せたとしたら、全篇はどんなに違った相貌を呈したことだろう。しかし漱石はそういう風には、男女のいきさつの現実を掴まなかった。その精神を捕えたいという男の欲望の側からだけ進んで行って、ありのままの精神を発揮出来ないようになっている女の社会的、習慣的条件を分析して見ようとしていない。女の上にだけ重くのしかかる目に見えない日常の絆、女心は先ずそれを吐露したいのだという疼くような苦衷、それは「行人」の千代子
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