れているのは実際であろうが、この家庭の欧化の半面に「多勢男の方が家へ遊びにおいでになりましたので、父などは、『お茶屋が開けるぞ』と云って笑っていたほどでございました」と不思議もなく語られているのも、今日の私たちには、改めて当時の女の開化性というものの現実を見直す心持をおこさせる。
明治十八年に出た「佳人之奇遇」などには、男子の政治的な活動に情熱をふき込む精神のつよい婦人の出現が理想として描かれたのであったが、「藪の鶯」の中のかしこい浪子は、もう政治家に対してよりも派閥から比較的自由であり、出世も出来、金もつくれる技術家へ女としてより関心をひかれる気持をはっきり表明している。政治はすべての若い人々の進歩性に対して、もうその「公論に決する」真実の機会を封鎖してしまっていたことがわかる。浪子は一向分析していない旧来の「婦徳」というものを損わざらんことをものわかりよい婦人の義務とわきまえ、或る程度まで自立し開化しながらも、決して女としての分を踰《こ》えたりしない良家の女主人としての存在を理想として、みずからに方向づけている。このことは、近代日本女子教育に一貫された政府の方針でもあったのである
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