。作者は「男子のかたから啓発され」つついつしか当時の支配者たちの女子教育論を代弁している。
 社会的な意味で、「藪の鶯」の先駆をなした福田英子・中島湘煙たちは、文学の上ではこれぞというほどの足跡をのこさなかった。福田英子にはずっと後年になってから『妾の半生涯』という自伝があり、これは、明治初年からの女性史にとって、重要な参考品である。湘煙は漢学の素養がふかくて、明治二十年頃には「善悪の岐」その他の短篇や漢詩を『女学雑誌』にのせたり新時代の婦人のための啓蒙に役立つ小論文をのせたりしている。フランスやイギリスから渡って来た男女同権論を、湘煙は漢文まじりのむずかしい文章で書いている。当時の日本の文化がいかにも新しい勢と古いものとで混雑していた様子がうかがわれる。
 例えば、湘煙は『女学雑誌』に「婦人歎」という論文をのせている。これは婦人の歎きとよみ下すのではなくて、「ふじんたん」とふり仮名がつけられてある。この文章の骨子は、明治になってから外見上婦人の位置は向上され、昔の女の生活とは比べものにならないように思われるかもしれないが、それは皮相の観察で、女の真の境遇の本質はやはり同じようにおとし
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