また、作品の創られてゆく生々しい内的過程から推して、芸術の世界の現実は、果して男の盲人の弾く琴と令嬢の稽古事として弾く琴とが、変りなき同様の曲節を奏でることがあり得るだろうか。漱石は、自然主義に反対して芸術の世界を、生活的世界と一応切りはなしたものの裡に認めようとしていた。その作家としての態度が、此処にもおのずから反映している。そして、学問、芸術の前には、俗世間で通用しているような形で、男女の性別はないとしているその仮定から、却って、婦人作家の生れて来る現象についても、女の止めがたい息づきによるというよりも、寧ろ近代自意識に伴う競争心をその内的な動機としてみるという、皮相な見解に陥っているところは一層興味ある点だと思う。
 漱石が女性に対して抱いていた考えかたの中には、一貫して、彼のうけた儒教的教育と西欧的教養との相剋が見られる。
 漱石は、「吾輩は猫である」などの中に、女を、ソクラテスの有名な駻馬的細君を例にして、苦い皮肉と笑とで扱っているが、「行人」を読んだものは、学者である主人公と共に、この作家が「女のスピリット」を攫もうとして、苦しい焦燥にかられていることを印象されるのである。
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