たにもかかわらず、そのような荒い路を経て女としての意識をさまされつつ生きなければならなかったにもかかわらず、彼女の活動と、所謂「天才の発現」とは、さまで広くない妻の限界に止まって、今日に及んでいることで考えられる。
『青鞜』をひきついだ伊藤野枝が、年齢の上でらいてうより若かったというばかりでなく、全体としての生活態度の上で、らいてうと対蹠していたことは、まことに意味ふかく考えられる。伊藤野枝が『青鞜』を引受けた心持には、同棲者であった辻潤の協力が計算されていたこともあったろう。しかし、彼女は、その時分もう子供をもっていた。若い母となった野枝が、日常経済的な困難や絶間ない妻、母としての雑用に追われながら、その間却って女、妻、母としての生活上の自覚をつよめられて行って、「社会的運動の中に自分がとび込んでも別に矛盾も苦痛もなさそうに思われました」という心持に立ったことは、今日の私たちの関心をひかずにいない点であると思う。らいてうと野枝との間のこういう相異は、唯二人の婦人の性格の相違だけのことであろうか。もとより個性的なものが大きく作用しているのではあるけれども、その個性のちがいそのもののうち
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