に、既に新しい世代への水源が仄めき現れている感じがする。『青鞜』は従来の社員組織をやめた。「無規則、無方針、無主張、無主義」なものとして総ての婦人のために開放した。事実、テムポが速い五年の間に、発刊当時集っていた婦人たちは、其々成長し、それぞれの道を独自に歩みはじめつつあった。明治四十年に処女作「縁《えにし》」を漱石の紹介で『ホトトギス』に発表した野上彌生子は、進歩的であるが温和でややアカデミックな環境の中でホトトギス派の水彩画めいた文学の境地から次第に新現実派と呼ばれた傾向の作風に進み、文章も欧文脈をうけて、知識人らしいポーズのうちに或る溌剌さをもって自身のスタイルを定め、『中央公論』『新潮』に作品を発表して、田村俊子とは対照的な取材、人生への態度をもつ婦人作家として重きを加えていた。田村俊子の女及び作家としての生活は、既に『青鞜』から遠くはなれてひろく流れつつある。唯一のロシア文学専門家としてチェホフの翻訳で『青鞜』を豊かにしていた瀬沼夏葉は、この年春亡くなった。
 画家上野山清貢の夫人であった素木しづ子が、病弱であった肉体と心との繊細さを美しく感覚に映した短篇をもってあらわれたの
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