う迄もない)思索の時も、執筆の時も、恋愛の時でさえも女としての意識は殆ど動いていない。只自我の意識がある丈だ」「そのせいか自分は女なのにもかかわらず十九世紀から――いや十八世紀からそうだ――喧しく云われている婦人問題も実のところいまだに自家内心の直接問題とはならずに来た」と。
中流的で当時としては自由な家庭の雰囲気の中にあった彼女の生活は、経済の面でも思想の面でも謂わば温室育ちであった。女として実感の目ざまされる現実が欠けていた。そのらいてうがエレン・ケイの論文にひきつけられて行った生きた関心の動機は、抑々《そもそも》何であったろうか。やがて三十歳に近づいていたらいてうの許を屡々訪れるようになった青年、彼女自身其人を若い燕と呼んだ愛人との交渉が、ケイの思想へも生きた脈動を感じさせたのであったと思える。
両親に宛てた形で書かれているとは云え、その実質は結婚の旧い習俗へ向って投げている昂然たる宣言とともに、らいてうは親の家を出て、巣鴨の植木屋の離れに、奥村博史との新生活を営みはじめた。ところが、従来『青鞜』の編輯事務に携っていたひとがその部署を退くことになって、『青鞜』の編輯の全事務は
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