めて発売された。らいてうの主観が、いかに「我れ我を游離する時潜める天才は発現する」という境地にとどまろうとしても、現実の波は追々彼女を年齢の上からも押しすすめてエレン・ケイの「恋愛と結婚」の思想にも近づかせた。『青鞜』は、同人たちの成長とともにいつしか社会への意識に向って、推し動かされて行ったのであった。
時代の坩堝《かんか》としての『青鞜』は、主宰である平塚らいてうの生活の変化をもこめて、巻を重ねるにつれて推移した。
明治四十四年、発刊当時の『青鞜』は、婦人の文芸雑誌としても或る新鮮さをもっていた。当時文学志望の若い婦人たちのための雑誌であった『女子文壇』や『ムラサキ』は如何にもネオ・ロマンティック時代らしい趣味をたたえた渡辺与平や竹久夢二の插画や表紙で飾られながら、扉の写真には同時代に活動しはじめていた婦人作家や女詩人たちの肖像をのせようとせず、「日向代議士夫人の新粧」として洋装のきむ子夫人の写真をのせたり「代議士犬養毅氏令嗣及夫人」という題でフロックコートを着た良人と並んでいる洋装のマーガレットの若夫人の立姿をのせたりしている有様であった。代議士令嗣夫人という肩書ばかりで固有
前へ
次へ
全369ページ中125ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング