風の観念的なものを多分にもっていたにかかわらず、当時の婦人の間に生じていた動きの底づよさは、青鞜社というものに一つの中心を見出して、それぞれの積極性をもって種々様々の婦人たちがその周囲にあつまった。当時は英学塾を出てまだ間もなく、赤い帯をしめた一人の眼の大きい娘であった神近市子。辻という人と同棲していたらしい時代の伊藤野枝。大杉栄の妻であった堀保子。岩野泡鳴の妻岩野清子。それらの人々の名が、婦人の生きる道の狭さを自覚した息づかいと、それに抗し、方向は明瞭でないながらもそれをうちひろげて行こうとする試みの気分に満ちた文章とともに『青鞜』の各号にあらわれた。旧套にしたがった結婚や、家庭生活への疑問が公然とのべられて、共同生活という、男女の新しい生活様式も、岩野清子の短い文章の中で云われている。文学的なものとしては、瀬沼夏葉がチェホフの「桜の園」の翻訳をのせ、野上彌生子がソーニャ・コヴァレフスカヤ伝を送った。岡本かの子、原あさを、原田琴子等の愛と歎きとの短歌。茅野雅子の、慎しい妻としての明暮のなかに、やはり心の見ひらかれた女としての自分に見出す境地のあることを唱った詩。そのほか、毎号いくつか
前へ 次へ
全369ページ中123ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング