日の社会の広汎で具体的な階級的重圧に作用されているのである。例えば窪川いね子の「一婦人作家の随想」を開いて見よう。私達は頁の到るところで、そういう日本の歴史的な重圧と揉み合っているプロレタリア婦人作家の努力の姿にうち当るのである。プロレタリア作家の場合、斯の如き重圧と闘うという方向において婦人作家は全く作家である良人と並んで助けあってそれをめいめい女の声で行っているわけなのである。
それ故、夫婦とも階級人として積極性をもっている場合、生活と文学とにおける相互の発展の可能性は大きな未来とともにあるのであるが、現実の複雑性は、又そこに極めて意味ふかい現象をもあらわしている。プロレタリア婦人作家が、家庭の内では階級的立場の一致しない作家を良人として持っている実例が、私たちの周囲には一つならずある。そういう場合、その婦人作家の階級作家としての発展の道は、どのような紆余曲折を経るものであろうか。生活の実際問題としてそれ等は未だ解決されていない。それだけプロレタリア婦人作家として重大で困難な社会的実践の問題がふくまれていることを感じるのである。
ごく近い過去まで、婦人一般のおかれていた社会的水準を基にして見れば、階級的分別があるにしろ無いにしろ、兎に角一人の女が文学の仕事に身を投じる決心をしたその事が、既に古い社会に対して抗議の第一歩としての意味をもっていた時代があった。
その時代に文学の道を歩き出した婦人作家がやがて旧い家族制度に反撥して当時の社会情勢では明らかに進歩性の担い手であったに違いない新進の作家と結婚した。今日の社会で貧しい妻になり母となって経験した現実は一層彼女を社会性に目醒めさせ、彼女を先ず作家志望者たらしめたその積極性によって、その婦人作家は次第にはっきりと自身の文学が社会のどこに属すものであるかを理解しはじめ、作家としての実践が一定の階級性を示すようになる。
その実際に立ち到って、妻としての婦人作家は、いつか作家である良人とズンズン押されて行っていた自分との間に、文学の本質の解釈において距離の生じていることを発見し、嘗て進歩的意義に輝いていた彼等の家庭が計らず質の上で反対物としての役目をもつものと成っている事実に苦しむのである。
この場合、婦人作家の生きぬかなければならぬ苦痛は、感情の機微にもふれて非常に大きい。正しい発展のために健康な意力が必要と
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