間が育って行くのである。
病気になれば、医者にかけるより先ずおまじないをするので、腐った水をのまされたり、何だか分らない丸薬を呑まされたりして、親達の迷信の人身御供《ひとみごくう》に上るものは決してすくなくない。
体は丈夫に育っても、親達がその日暮しに迫られているので、子供を学校という暇つぶしな所へはなかなかやられない。
女の子は早くから母親の代りをして家のことをとりしきってしなければならず、男の子は弟達の世話や畑の小仕事に使われる。
小作の親達は、子供等が小作の境界《きょうがい》から脱けられるだけの力をつけてやれないので、小作の子は小作で終ってしまうのが、定りのようになっているのである。
うざうざいる子供等は、だんだん衰えて来る親達に代って、地主共の食膳を肥すべく育っているようなものである。
そのような様子なので、少し普通でない性格を持った子は堕ちるなら堕ちる所へさっさと堕ちて、少し大きくなればどっか好きな所へ飛び出してしまう。
まして低能や白痴などはまるで顧みられない。村中の悪太郎の慰み物になっているより外ないのである。
それゆえ善馬鹿とその子等も、村の者が笑いのた
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