かかると、理も非もなくなる彼のおふくろは、病気だと聞いて、厄介者が何しに来たというように取り扱った。
 それが辛いので、新さんは、町の医者に掛る入費や自分の小遣いなどは皆自分の懐から出して、その上四十円程の金をおふくろに遣りまでした。
 けれども、ときどき不用心に胴巻を投げ出して置くと、僅かずつ中が減って行くということや、大の男をつかまえて、おふくろが何ぞといっては打擲《ちょうちゃく》したり、罵ったりするということまで、私共の耳へ入ったのである。
 それだもんで、村の者は新さんに同情をし、どうしてもおふくろには面白くない噂が立つので、新さんは板ばさみの辛い目に合わなければならなかった。
 ところが、或る日急に新さんはおふくろから、豆を盗んで売り飛ばしたという罪で攻めたてられなければならないことになった。
 正直な彼は大まごつきにまごついて、一体何が誰にどうされたのやらまるで分らないので、返事も出来ずにいるうちに、おふくろの方では村中にこのことを云いふらして歩いた。
 どう考えても新さんにはそのことが分らなかった。いつか、そんなことでもあったかしらと思い出そうとしたところで、まるで覚えはないしするので、煙のうちをでも歩くような気がして、何だか不安な、ほんとうに自分の身に後ろ暗い所でもありそうな日を送っていたのである。
 このような有様で、村中の者共は皆非常な興味を以て、事件の裏にひそんでいることをさぐってみようと思っていた。
 私は何にも彼等に関して知っていなかったので、どう想像することも出来なかったけれども、どこにでもある世話焼きが、自分の本職のようにして、せっせとあちらこちらから探りを入れ始めた。
 そうすると、意外にもその問題の俵などは初めから根もないことで、ただ謝罪金《あやまりきん》に今新さんの持っている金を、皆取りあげようとする方便に捏造《ねつぞう》されたものだという噂が、次第に事実として騒ぎ出されたのである。
 新さんは、飛んでもないことだと思って、おふくろを弁護し、その噂を押し消そう押し消そうと掛った。
 けれども、新さんの心はだんだん暗くなって来た。自分の身が悲しく、ほんとにこのおふくろの実の子かしらんという疑いも起って来たのである。
 私は青い陰気な顔をした新さんが、心配でよけい面窶《おもやつ》れしたような風で暑い日中被る物もなしに、村道をボコボコ歩いているのを見ると、ほんとうに気の毒になった。
 けれども、二十三にもなった男一人が、物の道理も分らないおふくろの自由にされて、苛《いじ》められても恥かしめられても、ただ一言云い争いもせず、ただ彼女の弁護ばかりしているのを見ると、妙な心持にならずにいられなかった。
 何だか、どこかに私共より偉いところを持っているような気がして、どんなに気の毒だと思っても、他の人々へのように、僅かばかり食物をやったりすることは出来ない。
 道でなど会うと、私はほんとうに心から挨拶をして、丁寧に病気の塩梅を聞いた。
 随分気分の悪そうな顔をしているときでも、彼は、
「おかげさまで、だんだん楽になりやす」
とほか云ったことがなかった。

        十四

 新さんのことがあったので、三十一日はかなり早く来た。二百十日前のその日は、大変に朝から暑くて、鈍い南風が、折々木の葉を眠そうに渡った。
 いつもより早く目を覚ました私は、いつもの散歩がてら村を歩いて見た。
 家々はもうすっかり食事までも済ましている。前の広場だの、四辻だのには、多勢の大人子供が群れてガヤガヤ云って騒いでいる。
 けれども、私の驚いたことには、彼等の着物や何かが昨日とはまるで別人のように、汚くなっていることである。女達は、皆|蓬々《ぼうぼう》な髪をして、同じ「ちゃんちゃん」でもいつ洗ったのか分らないようなのを着ている。裸体《はだか》で裸足《はだし》の子供達は、お祭りでも来たようにはしゃいでいるし、ちっとも影も見せないようにして奥に冷遇されていたよぼよぼの年寄や病人が、皆往還から見える所に出て来ている。
 桶屋でも、あの死ねがしに扱っている娘を、今日は、特別に表の方へ出して、ぼろぼろになった寝具を臆面もなく、さらけ出して置く様子は、私に一向解せなかった。
 村中は、もう出来るだけ穢くなって、それでいて私が今まで一度も見たことのないほど活気づいている。
 けれども、見て歩くうちに、だんだん彼等の心がよめて来た。そして、人間もどこまで惨めな心になるものかと、恐ろしいような情ないような心持になってしまった。
 私は、何だか自分の力ではどうしようもないことが、起って来たような気持になって、家へ帰った。
 家の中は相変らず平和に、清潔に、昔ながらの家具が小ぢんまりと落着いている。
 私は、折々縁側に立って向うの街道の砂塵の立つ
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