また考えることも出来ないためだ。そういう彼等を見ると、私はいろいろなことを考えさせられた。
「今度のことは好い結果を得るだろうか?」
 これが第一私の疑問である。而も直接自分自身が苦しめられている、疑いなのである。
 彼等はただ貰いさえすれば好い、くれる分には、どんな物でもいやだとは云わない。
 けれども、一枚着物を貰えば、前からの一枚はさっさと着崩して捨ててしまい、よけいな金が入れば下らない物――着ることもないような絹着物だの、靴だの帽子だのという彼等の贅沢品をせっせと買って、ふだん押えられている、金を出して物を買う面白さを充分に貪ってしまうのである。
 それ故、五円あろうが十円あろうが、つまりは無いと同じことで、その金で買った物も、しばらくして困りきっては町へ売ってしまう。
 金も、物品も、その流通する間をちょっと彼等の所へ止まるに過ぎない。
 年中貧しくて、彼等にはただ、ああいう着物も買ったことがあったっけ、あれだけの金も持ったことがあったっけがという記憶だけが、それもぼんやりと遺るばかりなのである。
 私はこのごろになって、ほんとに難かしいものだということをつくづく思っている。寛《ゆる》くすればつけ上る、厳しくすれば怖《お》じけて何を云っても返事もしないようになるのは、彼等の通癖である。
 婦人連が彼等にめぐむことに若し成功したら? ほんとうに、彼等の生活の足しになることが出来たら? それはほんとうに結構なことである。
 けれども、私にとっては、ただ単純に結構なことではすまないのである。
 私は、自分をこの村に関係の深い、この村に尽すべきことを沢山に持っている人間だと思っている。そして、少しずつでもしだした仕事は、失敗しそうになっている。
 そこへ、遠くはなれて、てんでんには別に苦しみもせず、さほどの感激も持たない人達のすることが、彼等の上に非常に効果があるとしたら、この自分は、どこまで小さな無意味な者だろう。
 私は、彼等とはまるで異った心持で、彼等のいわゆる「福の神の御来光」を待っていた。
 ところへ、突然思いがけない事件が持ち上って、村中の者の心を動かした。
 それは水車屋《くるまや》の新さんが豆の俵を持ち出して売ってしまったということである。その二俵の豆は、もちろんよそから粉にするように頼まれたものなのである。
 親の金を持ち出したり自分の家の物を盗んだりした経験の一度や二度、持たない者のないような村人のことであるから、ただそれだけのことなら、皆の茶話にも出ないで消えてしまっただろうが、新さんが名うての正直者で、おふくろがまた、これは名代の慾張りでいろいろ評判を立てられている女なので、皆の好奇心を煽ったのである。何かこの裏には魂胆があるといって、私の家へ来るもので新さんの噂をしない者はないほどだった。
 私は、その新さんという男には、たった二度ほか口を利いたことがない。随って、どんな男だか、はっきりは分らないが、内気そうな低い声で、大変丁寧に口を利く人だと思っていた。私にも、あの男がそんなことはしない、また出来ないと思われたけれども、彼の実のおふくろが家へ来るたんびに、ほんとうに怒って真赤になりながら、
「俺《お》らげの斃《くたば》り損い奴にもはあ、ほんにこまりやす。おめえさまお聞きやしただべえが、飛んでもねえことをしでかしやがってからに……」
と、新さんがその豆を売った金で、町の女郎屋に五日とか六日とか流連《いつづ》けたということを、大きな声で罵った。で、私は親身の親の云うこともまさか嘘だとも思えず、さりとて新さんがそんなことをしたとも思えないで、半信半疑のうちにこのことのなりゆきを見ていたのである。
 一体、水車屋は、二年前に亭主が亡くなってからよくない噂ばかり立てられていた。
 その時分からもう、北海道に出稼ぎに行っていた新さんを呼びよせもしないで、自分独りですべてを取りしきっているのも皆陰に操る者があるので、隣村の伝吉という同じ水車屋が、僅かばかりの桃林も何も彼も自分の物にして、新さんを追い出しに掛っているということは、誰一人知らない者がなかった。
 新さんは、十六の年から北海道にやられて、この五月になるまで、七年の間女房を持てるだけ稼ぎためたら帰って、おふくろにも楽をさせてやり、家の中をちゃんとしたいということばかりを楽しみに、悪遊び一つせずに働いていたのであったそうだ。
 ところが運悪く腎臓病になり、医者にすすめられたので、久し振りに帰って来たときには、八十円の金を持って来た。
 若いに似合わず感心なことだと、私の祖母なども祝いをやったというほど村中の者に尊敬されていたのである。
 けれども、一度借金のことから取り上気《のぼ》せて殆ど狂気になったことがあってからというもの、五厘でも半厘でも金のことに
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