、あった筈のビスケットがない。おやと思っていると、大垣は次に来た時晴れ晴れ、
「こないだのビスケット美味かったな、もうあれない?」
と、請求した。
「いやな人! ばれちゃったじゃないの、はっはっはっ」
 志野は奇妙な徳をもって生れついているものと見えた。彼女が可愛い喉を仰向け、実にからりとした声ではっはっはっと笑うと、房はどうしても腹立ちを持ちつづけていられなくなった。腹の空いた二匹の仲よい鼠でも見つけたようにふと気がほぐれ、
「いじきたな! あなた達に会っちゃ破産しちまう」
と、笑って損をさせられてしまうのであった。
 明日休みという日、志野は朝から出かけた。十一時廻って、階子口から、
「ああ、ああ、私全くへたばったわ」
という声がした。房は、待ちかねて出て見た。後から誰かがついて来た。
「一人じゃないの」
「――僕」
 大垣であった。志野は、
「さ」
と大垣を先に室に入れ、畳の上に坐ると、直ぐ脚を揉み始めた。
「――家なんてないもんね、いざ探すとなると。小さくていい家なんてとても在るもんじゃあないわ」
「どの辺歩いたのよ、一体」
「本郷と神田――お友達で日暮里の方に住んでる人がある
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