あなた。そして、何番地かって。千六十九番地ですって云うと、そんな番地どこにもありゃしないってんですもの、私――」
 志野は、
「ああ、思い出しても厭んなっちゃう」
と吐息をついた。
「でもね、今中さんてお産婆さん、親切だったから私助かったのよ、ひょいと看板を見て入ったんだけど。……そのお婆さんがここを知っててね、それで私来るようになった訳なのよ、実は――」
 房は、その辺まで律に聞かされていた。その時から、彼女の気になっていることが一つある。房は、低い声で訊いた。
「――そいで――どうしたの――その生れた……」
「ああ」
 志野は、早口でさも事なげに答えた。
「一週間ばかりで死んじゃったわ」
 それをきくと、房は何故だかぞーッとした。

        五

「ねえお志野さん」
 或る夜、房はしみじみと云った。
「――あなた……いつまで今の局にいる積り?」
 志野は、罪のない訝しげな表情で房を見た。
「何故?――いきなり……」
「――いい加減にして国へお帰んなさいよ」
「おかしな人!」
 志野は、小粒に揃った歯を出して快活に高笑いした。
「どうしたのよ一体――あなた帰りたくなったの?」
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