違う。――
 昼から房は下へ降りた。上って来ると、隣の芦沢の室の戸が珍らしく開いていた。廊下――房がその前を通って自分の室に行かなければならない――方へ、瑞々した丸髷を向け、派手な装の女が草履の鼻緒をなおしている。房が傍へ来ると、女は自然に頭を擡げた。
「いいおしめりですことね」
 すらりとした調子であった。房は、顔を赧らめた。
「ほんとにね」
 女は、はたはた前掛をはたいて立ち上った。
「ちっと寄って話していらっしゃいな、いいでしょう、今誰もいないんですよ」
 気持よい女なので寧ろ意外であった。室は八畳で、安ものながら箪笥や長火鉢や、すっかり世帯道具が揃っていた。座布団も鏡かけもぱっとしたメリンスずくめであった。
「――あなたがいらしたってことは、下のお神さんにきいてたんですよ……いかが? お気に入りましたか」
 房は、黙って笑った。
「――あなたんとこ、よくこんな綺麗にしていらっしゃること」
 女は、嬉しそうに、
「割にいいでしょ」
と云った。
「まるでがたがたなんですものねこの家ったら。――せめて自分達のいる処でも心持よくしとかなけりゃ――そりゃそうと、私ったらまだ自分の名も云わ
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