いで眼で制した。手招きをして、房の頭を運ばせ、耳に囁いた。
「一寸戸をあけて見て来てくれない?」
 せき立てるように、また階子口で口笛が鳴った。志野は立ちかねている房を、拝む真似をした。指の先を擦り合わせて。
 房は、さっと内から戸をあけ、五燭の蠅の糞のこびりついた電燈の光で、廊下を見た。男が戸の方を向いて立っていた。が彼女を見ると、急に外方《そっぽ》を向き、別な間借人の出て来るのを今一寸待ち合わせているという風に、呑気らしく、窓框《まどかまち》に靠《もた》れて脚をぶらぶらさせた。

        四

 時候がよくなったせいか、志野はよく勤めの帰途どこかへ廻った。夕飯をしまってから、更めて出なおすこともある。
「お房さん、あなたも行って見ない? 矢張り元局にいた人で、そりゃ面白い人よ」
「――私はよすわ」
「じゃそこいら辺までつき合わない?」
 遅くかえったりした時、志野は何か気がかりな風で室を見廻しながら、房に訊いた。
「誰も来やしなかって、留守に」
 二三度、
「芦沢さんとこの人来なかったこと」
 などとも訊いた。志野が留守の間、房は湯に行くか、須田へ行って数時間女中部屋と子供
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