は、敏感に反応した。そういう面での敏感さはいつしか母の好きな気位というものをも卑屈にさせた。
 一九三二年に私が結婚した時、母は宮本を見て深くよろこんだ。そしてこんどはお前も幸福になれそうだね、と云った。しかし、去年の暮以来、母は若い時から自慢の直感で娘の夫からうけた感じはどこかへ押しこんでしまって、娘とその夫とを、自分から押し離すように行動した。
 母にとっては自分をそのように行動させる真の動機がどういうものであるかということは恐らく考えてもわからなかったであろう。晩年の母は、懐古的になるとともに祖父西村茂樹の現代にあっては保守というべき側面ばかりを影響された。

 母の一生は女ながらいかにも活々と、多彩に、明治八年頃から今日に至る略《ほぼ》六十年の間に日本の中流の経験した経済的な条件、精神的な推移の歴史を反映している。母はめずらしく強烈な性格の女性であり、人間としての規模も小さくなかった。母の属した社会の羈絆がそれを圧しつけて萎えさせたり、歪めたりさえしなかったら、鍛錬を経て花咲くべき才能をも持っていたと思う。
 母は、今の世の中のしきたりにおとなしく屈従して暮すには強く、しかし強
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