たことであった。若いものらは、その旅行へ行って、帰って、しかも余程後になるまで父のこの心の計画は知らなかった。
母はこの欧州旅行を非常によろこんだ。そして旅に出た日からかえるまで船の中ででもホテルでも、殆ど一日もぬかさず旅日記を書きとおした。
医者は危険だと云ったような一世一代の大旅行を無事になしとげたこと、旅日記をもかきとおすことが出来たこと。それらを、母はみんな例の霊の加護によるものという風にだけ解釈した。翌々年に膵臓膿腫を患い、九死に一生を得たときも、母が讚歎したのはやはりその力であった。母は、彼女を生かし、楽しますために周囲の人々が日夜つくしている心づかいや努力を、そのものとして感じとり評価する能力は失ってしまっていた。母が家庭の中で自分のおかれている地位を、ひろい社会の中ででも自分のおかれる地位であるように思いこみ、若いうちの自身の勤労と思いやりとを忘れたということは、母にとって何という悲しいことだったろう。ぐるりの者にとって幾何か切ないことであったろう。
しかも、実際家としての母は未だ眠りきってしまわず、一九二九年の恐慌以来、母の収入をも半減させた世の中の変化について
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