けこたえしか出来なかった。
この前後(一九二四・五年)から、子供らは、私が見ていたように、そして手伝ったように、自分で洗濯をし、縫物をし、台所で夕飯のおかずをこしらえるために立ち働いている母を見ることが全く無いようになった。
母は父との間に九人の子を持った。そのうち六人を死なせ、肉体と心との疲労はひどかったが、特に一九二八年八月、東京高等学校三年生であった弟が計画的な方法で自殺してから、母の生活はよそめには一種異常なものとなったのであった。
その前年の秋から、私は外国へ出かけ、弟の死はレーニングラードで知った。弟が自殺したこまかい理由は今もって具体的に分ってはいないけれど、その前後の時代の高等学校の学生であった二十一歳の青年の精神的苦悩から、弟はその前、三月にガスで一度死のうとしていたところを、父に発見されたことがあった。その三月の時、日頃彼を熱愛していた母は、最愛の息子が自殺して苦悶から逃げようとした態度を激励的に叱責するよりも先に、その純情と苦悶とに自分がうたれ、感傷し、感情の上で弟にまきこまれた。五ヵ月後、彼が遂に死んだ時も、母はこの濁世に生きるには余り清純であった息子の霊
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