きした精神をもって生きていて、批判と主張と希望とをどっさりもっている人として、今日の現実から感じとることがないはずはありません。その考えなり、感情なりを大衆的に表現して職場仲間よりももっと広い階級感情にアッピールし、その反響を自分にも受けとって激励を感じることは、果して意味の小さいことでしょうか。通信を書くという仕事は、文学の基礎体操のようなものです。そこでは、事件そのものがその本質において語られ、その本質が働く人民の生活にどんな影響をもっているかということが発見されていればよいのです。このことは通信を書くという仕事が、広い多面な闘争についてお互いに知り合い励まし合うばかりでなく、正直に通信を書こうとするわたしたち一人一人に、現実を正確に観察して主観的な誇張なしにそれを書いてゆくというリアリズムの大切な訓練を与えます。民主主義者にとって、革命家にとっては現実をそれがあるよりも大きくもなく小さくもなくつかんで、そこから見通しをたててゆくということは、過去のブルジョア政治家、ブルジョア文化人、ファシストのもてない根本的な武器です。もっとも高いこういう文化性は、もっとも高い政治性に通じます。アカハタの読者から集めた批判の欄に、主観的な誇張のない記事をのせてくれという一項目がありました。このことは、日本の人民が三年間の闘いを通じて現実の複雑さに対してリアリスティックな成長を遂げてきたことの証拠です。職場の通信員であった人の中から、特に文学的表現にすぐれた人が生れて、それが作家となってゆくというような階級の歴史の健全さの中から民主的な勤労者作家の出現が期待されます。だから文学サークルが目下小説を書いている人たちだけの中心勢力で指導されていて他のより多くの人はいわゆる文学愛好家の水準にとどまって、心まかせの投書雑誌向きな詩や小品ばかりを書いているという状態は、できるだけ早く発展させられなければならないでしょう。わたしたちは誰も彼もが民主的政治家になるのではありませんし、組合の委員になるのでもありません。一人残らず共産党員になるわけでもありません。けれどもわたしたちは、人民の幸福を守る民主的政治家と政党とを選んでそれに投票します。わたしたちの人民的世論というものがそのように表現されて自然であるということが分っていれば、小説家にならないからといって、階級人としての現実観察とその評価
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